2009年12月17日

電子立国日本の自叙伝

電子立国日本の自叙伝(でんしりっこくにっぽんのじじょでん)は、1991年にNHKスペシャル枠で放送されたドキュメンタリー番組。
戦後間もなくアメリカでトランジスタが発明されたところから、集積回路 (IC)の開発とLSI化、日本で昭和40~50年代に繰り広げられた電卓市場を巡る激しいシェア争い(いわゆる「電卓戦争」)、そして世界初の1チップMPUであるIntel 4004の開発秘話など、1980年代末までの日米における半導体開発の歴史を追った作品である。

ジョン・バーディーンやジャック・キルビー、ロバート・ノイス、嶋正利など、半導体史において欠かすことのできない研究者達が多数インタビューに登場しているほか、半導体の製造に関する貴重な映像が満載されている。本番組の製作意図の一つとして、現在のエレクトロニクス産業の黎明期から現場に携わった証人にインタビューする、というのがある。今を逃せば、これだけ多くの人にインタビューをできる機会はもうないだろうと、関連書籍の中で述べられている。

毎日の生活
魅惑のターゲット
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優衣のうさちゃん
優翔の花鳥風月
祐希の無茶苦茶生活
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陸翔の波瀾万丈
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莉緒のおしゃべり
餃子で満腹
空の案内人
結衣のスポーツサミット
健やか生活
玄米茶
交差点
番組中度々登場する、三宅民夫アナウンサーと相田洋ディレクターの軽妙な掛け合いトークも話題となった。

番組は高柳記念科学放送賞、国際科学技術映像祭(産業部門)銀賞を受賞した。またディレクターの相田はこの番組の制作に対する功績で1991年に放送文化基金個人賞、1992年に芸術選奨文部大臣賞を受賞している。

現在はNHK出版より単行本(全4巻、文庫版はNHKライブラリーより全7巻、ISBN 4140087919 など)が発売されている。映像ソフトはNHKソフトウェア(現・NHKエンタープライズ)よりビデオ(全4巻)レーザーディスク(上・中・下の全3巻)が発売されていたが、現在は絶版。2009年3月にDVD(全6巻、NHKエンタープライズ)が発売。NHKアーカイブスで全ての回が見られる。

2009年12月01日

花見

花見(はなみ)とは主に花を鑑賞し、春の訪れを寿ぐ慣習である。日本の場合、多くは開花した桜の下で行われる宴会のことを指す。
桜の木は日本全国に広く見られその花は春の一時期にある地域で一斉に咲き、わずか2週間足らずという短い期間で散るため毎年人々に強い印象を残し、日本人の春に対する季節感を形成する重要な風物となっている。その開花期間の短さ、そしてその花の美しさはしばしば人の命の儚さになぞらえられる。そのためか古来、桜は人を狂わせるといわれ、実際花見の席ではしばしば乱痴気騒ぎが繰り広げられる。一方で花を見ながら飲む酒は花見酒と呼ばれ、風流だともされている。陰陽道では、桜の陰と宴会の陽が対になっていると解釈する。

花見は奈良時代の貴族の行事が起源だと言われている。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていたが、平安時代に桜と変わってきた。その存在感の移り変わりは歌にも現れており『万葉集』において桜を詠んだ歌は40首、梅を詠んだ歌は100首程度だが、平安時代の『古今和歌集』ではその数が逆転する。また「花」といえば桜を意味するようになるのもこの頃からである。
交差点
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宮沢賢治集
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よの付く言葉
日本の正月
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大気のお話
妊婦さんの豆知識
骨の調べ
かわいいペット・秋田犬

『日本後紀』によると、嵯峨天皇が812年(弘仁3年)に神泉苑にて「花宴の説」を催した。これが記録に残る最初の桜の花見だとの説がある。831年(天長8年)から場所は宮中に移り、天皇主催の定例行事として取り入れられていった。その様子は『源氏物語』「花宴」に描かれる。『源氏物語』には藤を鑑賞する宴会についての記述もあるが、この頃には「花」はほぼ桜と同義に使われるようになっていたためか桜以外の花を観賞する宴が花見、花宴といわれることはない。
吉田兼好の『徒然草』には貴族風の花見とそうでない田舎ぶりの花見の違いが説かれており、室町初期には地方の武士階級にも花見の宴は行われていたことが伺える。

2009年11月27日

点火後の爆発までの時間

歩兵が一般的に使用する手榴弾は信管に点火、爆発までの時間が調整され続けてきた。時間が長すぎると投げ返され、短すぎると標的付近へ到達する前に爆発し味方も負傷するなどの事態が発生しうる。 この特徴を利用して、各種作品の劇中で、ギャグの小道具として使用される場合がある。 (敵の間でたらい回しされる、味方に何も言わずにセットして仲間が慌てて逃げ出す、など)

4~6秒がもっとも実用的とされているが投げるタイミングを考えて使用する訓練も行われている。

手榴弾が最初に使用されたのは8世紀の東ローマ帝国においてであり、その中身はギリシア火と呼ばれる焼夷剤だったとされる。
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日本で使用されたのは13世紀の元寇襲来において登場した震天雷(てつはう)が最初であり、その後は日本でも作られるようになり、15世紀の応仁の乱でも使用されている。
ルイ14世のころに中空になった球体の鋳物に黒色火薬を詰めて導火線を付けた物が最初と言われているが、この当時の手榴弾は自分で導火線に着火してから投げるため極めて扱いにくく自爆事故も多かった。このため現在の手榴弾のように歩兵全員に支給されることは無く、擲弾兵と呼ばれる特に手榴弾を投げつける専門の訓練を受けた歩兵が使用するものであった。現在でも爆弾のイメージとして出てくる黒い球体の上に導火線が付いている姿はこのころの手榴弾の姿であり、ロシア空挺軍やフランス外人部隊などのように部隊章として用いられることも多い。そして、擲弾を投げる任務を与えられた兵士は擲弾兵と呼ばれるようになった。

2009年11月13日

戦争準備

後北条氏側は関東諸豪制圧の頃から秀吉の影を感じ始めていたと言われ、その頃から万が一の時に備えて15歳から70歳の男子を対象にした徴兵や、大砲鋳造のために寺の鐘を供出させたりするなど戦闘体制を整えていた。また、ある程度豊臣軍の展開や戦略を予測しており、それに対応して小田原城の拡大修築や八王子城、山中城、韮山城などの築城を進めた。また、それらにつながる城砦の整備も箱根山方面を中心に進んでいった。

一方、豊臣側では傘下諸大名の領地石高に対応した人的負担を決定(分担や割合などは諸説ある)。また、陣触れ直後に長束正家に命じて米雑穀20万石あまりを徴発し、天正大判1万枚で馬畜や穀物などを集めた。長宗我部元親や宇喜多秀家、九鬼嘉隆らに命じて水軍を出動させ、徴発した米などの輸送に宛がわせた。毛利輝元には京都守護を命じて、後顧の憂いを絶った。豊臣軍は大きく2つの軍勢で構成されていた。東海道を進む豊臣本隊や徳川勢を主力と、東山道から進む北国勢を中心とする北方隊である。
風の子
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豊臣側の主だった大名(秀吉を除く)
主力:豊臣秀次、徳川家康、織田信雄、蒲生氏郷、黒田如水、羽柴秀勝、宇喜多秀家、織田信包、細川忠興、小早川隆景、吉川広家、堀秀政、池田輝政、浅野長政、石田三成、長束正家、長谷川秀一、大谷吉隆、石川数正、増田長盛、金森長近、筒井定次、生駒親正、蜂須賀家政、大友吉統、島津久保、森忠政。約170,000
水軍:長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治。約10,000
北方隊:前田利家、前田利長、上杉景勝、真田昌幸、依田康国、丹羽長重。約35,000
総計約21万(推定)。

2009年11月02日

電気機器への被害

電気機器への被害
一般家庭への引き込み電線、アンテナなどに落雷した場合、家庭電化製品へ電流が流れ、修理が不能になるほどのダメージを受ける場合がある。また直接電線に落雷しなくても雷サージ電流が配電線に乗り、広域な一般家庭にも影響を及ぼす場合がある。特にパソコンなどの電子機器はこれに弱い。
こういった落雷の影響から保護するためのブレーカーが備えつけられていた場合、ブレーカーの動作により突如停電することになる。これが変電所・配電所で起きれば広域な停電となる。
建物への被害
雷の電流そのものの物理的な力は微小だが、風雨や劣化によって生じた割れ目などに溜まっていた水が落雷時の電路になり、更にジュール熱により水蒸気爆発を起こして、剥離や裂ける、割れるなどの物理的な破損をもたらすことがある。石、レンガ、木、コンクリートなど、様々な建材で起こり得る。
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雷は基本的に周囲で最も高いところに落ちる。これは雷は最も導電しやすいルートを通るが、空気の絶縁抵抗が極めて高く、それは構造物などの電気の通しやすさの差異よりかなり大きいので、雷が最も空気を通らなくて済むルートを通るため。ただし構造物などの内部でどういうルートを通るかは、その内部の電気の通りやすいルート次第である。ちなみに人体内部はかなり電気を通しやすい部類に入る。

2009年10月23日

企業内教育

企業内教育(きぎょうない きょういく)は、企業が従業者に対して行う教育のことである。企業内研修、社員教育、社員研修、社員教習など、呼称はさまざまである。

企業内教育は、従業者(労働者)に対して業務に求められる能力を向上させるための教育と、従業者のマインド面に変化を起こさせるために行われるものとに大別される。

前者はさらに、「知識」や「技能(スキル)」を付与するための、いわゆるインプットタイプの教育と、従業者に内在している知識や技能を引き出して成功パターンを導き出すようなアウトプットタイプの教育に大分される。
ポップコーン
めだかの兄妹
ラッキーマン
愛犬ラッシュ君
運命のオセロ
夏模様
海の女王
輝く流れ星
金魚すくい
玄米茶
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自転車王
春樹に一心同体
常夏の楽園
迅の順風満帆
赤いサイレン
太一の田植え
中華ドンまん
桃江のブログ
八幡の伝説

一概に教育とはいってもその実施のされ方は様々であるが、SD(セルフディベロップメント=自己啓発)、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング=仕事上指導)、OffJT(オフ・ジェイティ=集合研修)が一般に「教育の3本柱」と言われることがある。

このうち教育の中心となるべきはOJTで、あとの2つはそれの補完的なものという説も有力である。ただしOJTの実施主体者が、教育対象者の直属の上司である場合が多く、「上司側の教える力量不足」については、企業・組織の永年の課題であった。

2009年06月22日

行動生態学の発展

動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味があるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった分析がなされるようになった。そしてこれまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。

代替生活史戦略(Alternative strategy)の存在
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチの目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問先である花で縄張りを作るという代替作戦を持っているわけである。

このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点から考えることで、例外ではなく有意義な行動であることが発見されたのである。

真社会性の発見
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッポウエビから真社会性のものが発見された。
河川のお話
大阪情報
欧米の美術
ことわざ集
茨城の情報
せの付く言葉
惑星のお話
香り・情報
コインの秘密
知って・マナー
泌尿器科
棚田
弓道
四国
水族館
フラメンコ
昆虫
医用生体工学
上場
バイアスロン

子殺しの発見
インドに生息するハヌマンラングールという猿は、雄が多数の雌からなる群れを維持する。雄は成長すると群れを離れ、やがて力をつけると、群れをもつ雄と戦う。群れの雄を倒すと、その群れの雌と交尾をすることができるようになる。ところがこの群れ雄交代の時に、新しい雄が、群れの雌が育てている子供を食い殺すことが観察された。 これはあまりにも衝撃的な行動であることから、当初は発見自体が疑問視されたが、同じようなハレム制を持つライオンでも、同様の行動が観察されたことと、社会生物学が受容されたことによってようやく認知されるにいたった。雄にとって、乗っ取った直後の群れにいるのは前の群れ雄の子であって血縁関係はない。しかも、子を育てている限りは雌は発情しないので繁殖できない。ハヌマンラングールにおいて雄が群れ雄の地位を維持できる期間は短いので、前の群れ雄の血を引く子供の独り立ちを気長に待つよりも、すみやかに子を殺し、雌の発情を促す行為の方が適応的である。レンカクのような生物ではメスも子殺しをする。

互恵的利他主義
1971年にロバート・トリヴァースは血縁関係の無い個体間でどのようなときに利他的行動が進化するかを論じた。後にゲーム理論が適用され洗練された。ロバート・アクセルロッドやマーティン・ノヴァクにより政治学にも応用されている。

親による子への投資、親子間の利害対立、兄弟間の利害対立
ロバート・トリヴァースは親の子育て行動を経済学の投資、利益、コストという概念を用いて説明できることを示した。親は自分の持つ有限資源(寿命、エサなど)をどのように自分の生存と子孫を残す努力へ振り分けるか常に判断を迫られている。つまり最も効率よく振り分けできた個体が繁栄する。親は獲得したエサを自分で食べるか、子に与えるか、自己の利益を最大化できる方を選ばなくてはならない。また子にとっては自分が親から与えられる子育ての労力は100%有意義であるが、50%しか遺伝子を共有していない兄妹たちへの子育てはその半分の価値しか持たない。鳥類に多く見られる「兄による弟殺し」は、兄弟間の対立であると同時に、親が予備として子を多めに産んで、第一子が上手く育ちそうなら弟を殺させるという、親子間の利害対立が原因だと考えられている。

2009年06月05日

両院制(りょういんせい)とは、「立法府」が独立して

両院制(りょういんせい)とは、「立法府」が独立して活動する二つの「議会」ないし「議院」によって構成される政治制度。二院制(にいんせい)とも言う。

対照的な制度に一院制がある。

「二院制」の「二」に対し、「両院制」の「両」は、「bicameral」という言葉の翻訳から「対になっている2つ」という意味合いをもつ。一般に「両院制」と「二院制」はほとんど同義の用語として使われているが、以下のように異なる制度を指すものとして使い分けることもある。

両院制
「1つの議会」が、独立した2つの議院によって構成されているもの。
例:日本、英国、米国など
二院制
完全に独立した2つの議会が存在しているもの。
例:ドイツ、フランスなど

「両院制」の意義は「多角度的な民意の反映」というのが本来の趣旨である。これは双方違った方法で選出されて構成される議院が存在することによって、様々な角度からの意見が反映されていくことでより深い議論が出来るというものである。また「議会の多数派による専制の阻止」「どちらかの議院が存在する安定した議会政治」といった効果も生み出す。

下院に相当する議院は基本的には、社会の多勢を占める中産階級の利害を代表している。政治が異なる利害の調節を行なう作業である以上、中産階級で代表されるものとは別の視点からの利害を何らかの形で反映するメカニズムが存在しなければならない。それは少数民族であったり、各地方の利害であったりする。社会が複数の民族から構成される場合や、異なる言語集団から構成される場合は特に重要となる。したがって、上院に相当する議院の選出メカニズムは下院に相当する議院とは異なっていなければならない。

現代においては、両院の力が対等であることは少ない。立法に関しては下院に優越がある場合が多く、上院に法案を否決する権利が無い、あるいは制限されていることが多い。行政に関しては、予算や条約の承認などで、どちらかの院にのみ決定権を与えている国が多い。両院の異なる選出メカニズムをふまえ、その民意を適切に反映させるために役割分担がなされるのである。
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「上院 (upper house)」「下院 (lower house)」という言葉は、アメリカの首都がフィラデルフィアにあった頃、議会が使用していた二階建ての公会堂 (現在の独立記念館、当時の大きい邸宅と変わらないほどの小振りな建物) で、議員数の多い代議院 (House of Representatives) がその一階部分 (lower house) を、少ない元老院 (Senate) が二階部分 (upper house) を使用したことからこう呼ばれ始めたといわれる。

議会制度の発祥地であるイギリスをはじめ、欧米の多くの国では上院に相当する議院 (貴族院、元老院など)を「第二院」、下院に相当する議院 (庶民院、代議院など) を「第一院」としている。

連邦型(連邦代表型)
アメリカ、スイス、ドイツなど。
貴族院型(特権階級代表型)
イギリス、大日本帝国議会など。
民選議院型(民主的第2次院型)
イタリア、日本、フランスなど。
変則民選議院型(一括国政選挙型)
ノルウェー
この類型は形式的なものであり、それぞれの国の運用は多様である。

連邦型であっても、アメリカ合衆国上院は国民による公選であり、ドイツ連邦参議院は州政府による任命制である。

貴族院型の代表例であるイギリスは、今日ではもとからの世襲の貴族である議員は92人に削減され、現在の貴族院議員のほとんどは“一代貴族”(有識者や功労者を貴族院議員にするために一代限りの貴族として認定した者)である。このため特権階級の代表としての意義はほとんどない。日本の帝国議会にも学識経験者などからなる勅撰議員がいた。

日本、イタリアは上院議員も直接選挙で選ぶが、フランスは、下院と地方議会の議員約15万人が上院議員を選挙し、国民による直接選挙は行われない。

ノルウェーは国政選挙を一括して行い、選挙後に議員を二院に分ける変則型である。

2009年05月01日

秀忠は政権移譲した後も

秀忠は政権移譲した後も、大御所として軍事指揮権等の政治的実権は掌握し続け、幕政は本丸年寄と西の丸年寄の合議による二元政治のもとに置かれた。寛永3年(1626年)7月には後水尾天皇の二条行幸のために上洛するが、将軍家光に対して大御所秀忠は伊達政宗・佐竹義宣ら多くの大名、旗本らを従えての上洛であった。家光は二条城において後水尾天皇に拝謁し、秀忠の太政大臣に対し家光は左大臣に昇格した。
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寛永9年(1632年)1月に秀忠が死去すると二元政治は解消され、将軍から公方として親政を始める。旗本を中心とする直轄軍の再編に着手し、同年5月には外様系大名を招集し、肥後熊本藩主加藤忠広の改易を命じている。老中・若年寄・奉行・大目付の制を定め、現職将軍を最高権力者とする幕府機構を確立した。諸士法度の制定。寛永12年(1635年)の武家諸法度の改訂では、大名に参勤交代を義務づける規定を加える。対外的には長崎貿易の利益独占目的から、貿易統制ならびにキリシタン弾圧を強化し、寛永14年(1637年)の島原の乱を経て寛永18年(1641年)までに鎖国体制を完成させた。これらの、家光の代までに取られた江戸幕府の一連の強権政策は「武断政治」と言われる。寛永18年(1641年)には嫡男の竹千代(のちの将軍家綱)が生まれる。

寛永19年(1642年)からは寛永の大飢饉は起こるが、幕府の支配体制が揺らぐことはなく、正保元年(1644年)には全国の大名に郷帳・国絵図(正保国絵図)・城絵図(正保城絵図)を作成させ、農民統制では田畑永代売買禁止令を発布した。[1]慶安3年(1650年)には病気から諸儀礼を家綱に代行させ、翌年4月に江戸城内で死去する。享年48。家光の死に際しては、堀田正盛や阿部重次らが殉死している。

遺骸は遺言により東叡寛永寺に移され、日光の輪王寺に葬られた。同年5月には正一位・太政大臣が追贈され、法名は「功崇院」の案もあったが、大猷院に定められた。翌承応元年(1653年)には大猷院廟が造営される。

元和6年(1620年)1月5日、正三位に叙す。9月7日、従二位に昇叙し、権大納言に任官。元服し、家光と名乗る。
元和9年(1623年)3月5日、右近衛大将・右馬寮御監兼任。7月27日、正二位に昇叙し、内大臣に転任。併せて征夷大将軍・源氏長者宣下。
寛永3年(1626年)8月19日、従一位に昇叙し、左大臣に転任。左近衛大将を兼任。
寛永11年(1634年)7月11日、太政大臣転任を固辞。
慶安4年(1651年)4月20日、薨去。贈正一位太政大臣。

2009年04月17日

ステュアート朝

ステュアート朝(Stuart dynasty または Stewert dynasty)は、1371年から1714年まで続いたスコットランド起源の王朝。1603年以後はイングランド国王を兼ねて同君連合体制となり、1707年にグレートブリテン王国(イギリス)を成立させた。「ステュアート」は、スコットランド語の宮宰(Steward of Scotland)に由来する。メアリー女王のとき綴りをStewertからStuartに改めた。

スコットランド王朝時代 [編集]
存在が知られているステュアート家の最も古い祖先はフランスのブルターニュ地方のブリトン人小貴族フラールド(Flaald, ? - 1099年)で、孫のフラールド2世がヘンリー1世に従ってイングランドに移住した。その孫のウォルター・フィッツアラン(? - 1177年)は、イングランドの無政府時代に女帝モードを支持し、その叔父であるアサル家のスコットランド王デイヴィッド1世に仕えて王室執事長(Lord High Steward)に任命された。この地位は世襲され、ステュアートが家名となる。第6代執事長のウォルター・ステュアートがブルース家のロバート1世の娘マージョリーと結婚したことによって、スコットランド王室に連なった。

1371年、デイヴィッド2世が没してブルース家が断絶すると、ウォルターとマージョリーの息子ロバートがロバート2世として即位し、ステュアート朝が始まり、以降、ロバート3世からジェームズ6世まで、続いて計8人がスコットランド王として統治した。多くの王が幼少にして即位したこともあり、有力貴族間の政争や貴族との対立に巻き込まれ、王が殺害・連行される事態が相次いだ。対外的には、イングランドとはおおむね険悪な関係で、同盟国フランスを巻き込んでしばしば戦いがおこった。

スコットランド・イングランド両王朝時代 [編集]
イングランドからテューダー家のヘンリー7世の娘マーガレットがジェームズ4世に嫁してジェームズ5世が生まれ、ステュアート家はイングランドの王位継承権を得た。

イングランドでエリザベス1世が即位すると、スコットランド女王メアリーはエリザベスが庶出であるとしてイングランド王位を要求し、スコットランドとイングランドの関係は悪化した。嫡子のいなかったエリザベス1世の死後、メアリーの息子であるスコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王位にも就き、アン女王の時代にグレートブリテン王国として統合されるまで、両国は共通の王と独自の政府・議会を持つ同君連合体制をとった。

ジェームズ1世とその子チャールズ1世は、王権神授説を唱えて国王の絶対性を説き、議会と対立した。ピューリタン革命が起こるとチャールズ1世は処刑され、イングランドでは王制が廃止された。チャールズ2世が王政復古を果たすが、ジェームズ7世/2世は名誉革命でカトリック王として追放された。後、ジャコバイトがジェームズ7世/2世やその長男の家系による王位の奪還を目指したものの、彼らが正式に王としてイングランド、スコットランドに迎えられることはなかった。イングランドとスコットランドの王位はチャールズ1世の孫に当たるウィリアム3世、およびジェームズ7世/2世の2人の娘によって継承され、アン女王の死後はジェームズ1世の曾孫に当たるハノーファー選帝侯ゲオルクがグレートブリテン王ジョージ1世として迎えられてハノーヴァー朝が成立した。

なお、ピューリタン革命期にイングランドでは王のいない空位時代があったが、スコットランドでは皇太子のチャールズ2世が即位し、空位時代はなかったとされる。

ステュアート家関連年表 [編集]
12世紀 ウォルター・フィッツアラン、アサル朝王室執事長に就任。
14世紀 第6代王室執事長ウォルター・ステュアートとロバート1世の娘マージョリー結婚。
1371年 マージョリーの子ロバート2世即位、ステュアート朝成立。
1390年 ロバート2世死去、ロバート3世即位。
1406年 ロバート3世死去、ジェームズ1世即位。国政は摂政オールバニ公に握られ、ジェームズはイングランドに滞留。
1424年 ジェームズ1世帰国、戴冠。
1437年 ジェームズ1世暗殺、ジェームズ2世即位。
1460年 ジェームズ2世事故死、ジェームズ3世即位。
1468年 ジェームズ3世、デンマーク王クリスティアン1世の王女マーガレットと結婚。オークニー諸島とシェトランド諸島を獲得。
1488年 貴族による反乱の末、ジェームズ3世が民衆により殺害され、ジェームズ4世即位。
1502-13年 スコットランド・イングランド間で「恒久和平」成立。
1503年 ジェームズ4世、イングランド王ヘンリー7世の娘マーガレット・テューダーと結婚。
1513年 ジェームズ4世、「恒久和平」を破棄しイングランドに侵攻。フロッドンの戦いで落命、ジェームズ5世即位。
1542年 ジェームズ5世死去。メアリー即位。
1567年 内乱によりメアリー譲位。ジェームズ6世即位。
1603年 エリザベス1世死去。ジェームズ6世/1世即位、スコットランドとイングランドは同君連合となる。
1625年 チャールズ1世即位。
1629年 チャールズ1世議会を解散。
1642年 ピューリタン革命起こる。
1649年 オリバー・クロムウェル、チャールズ1世を処刑し共和制樹立。
1653年 クロムウェルが終身護国卿となる。
1660年 護国卿リチャード・クロムウェルが退位し、王政復古。チャールズ2世即位。
1688年 名誉革命。ジェームズ7世/2世、フランスに亡命。メアリー2世・ウィリアム3世の共同統治。
1707年 イングランド・スコットランド正式に合併し、グレートブリテン王国成立。
1714年 アン女王死去、ステュアート朝断絶。

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